天保の盛り山と言われ栄えた銀山

この当時の銀山は人口15,000人あまりを数え、城下町久保田(今の秋田市)をしのぐほどの活況を呈したと伝えられます。その後、明治維新をへて新政府直轄の経営となり、近代化を推し進めていきます。
しかし、銀価の崩落や鉱脈の堀り尽くしなどでしだいに衰退し、昭和29年(1954)には完全閉山し、約350年にわたる長い歴史の幕を閉じました。今も院内銀山跡地には当時の坑口などが見られ、かつての面影がしのばれます。
所在地 | 秋田県湯沢市院内銀山町 |
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アクセス | 湯沢横手道路 雄勝こまちICから車で約20分 |
問い合わせ先 | 院内銀山異人館 0183-52-5143 |